#24:パラオを訪問して
この文章は平成19年10月発行の病院広報誌第12号のオピニオンに書いた文章です。
パラオ共和国訪問の感想を書いた文章です。
パラオを訪問して
先日ひょんなことをきっかけにパラオ共和国を訪問する機会を持ちました。
まずパラオの概略を紹介します。
日本の真南に位置し、東京から約3,200km、直行便で4時間強、日本との時差はありません。環太平洋火山帯の一部で、火山島や隆起珊瑚からなる石灰岩の島々が300ほど点在する美しい国で、北緯2-8度、総面積約488平方km(屋久島とほぼ同じ)、海洋性熱帯気候で、平均気温は27.9℃、一年中ほとんど温度差がありません。人口は約2万人でパラオ人が約13,000人、外国人が約7,000人、主な産業は観光業と漁業で、年間約8万人の観光客が訪れ、大半が日本人(約2万5千人)と台湾人です。
歴史的には、1885年スペインがパラオの領有権を宣言し、1899年にこれをドイツに売却、1901年からドイツが統治しました。第一次世界大戦が始まった1914年日本が軍事占有、終戦後1920年旧ドイツ領南洋諸島が国際連合の日本委任統治領となり、1922年にパラオのコロールに南洋丁を開設しました。公学校が設立され、島民への日本語教育が行われました。また、日本からの拓殖移民も多く移住し、水産業、農業、鉱業等が発展しました。そのため、今もなおとても“親日”の国です。
第二次世界大戦中は激しい戦闘の場となり、ペリリュー島、アンガウル島などで日本軍が玉砕し、多数の日本兵が亡くなっています。終戦の1945年アメリカが占領、1947年国連の決定でアメリカの信託委任統治領となりましたが、1994年共和国として独立を果たしました。
独立後15年間はアメリカからの多額の援助が約束されており、国家予算の約6割はODAを含めた海外からの援助が占めているそうです。しかし、2年後の2009年にはその援助が打ち切られるため、国としてもっと産業を興さなくてはいけないと今真剣に考えられているそうです。
日本からパラオに行く目的の多くは、以前は遺族による戦没者の慰霊であり、最近は若者達のダイビングです。
そうした国になぜ私が行くことになったかと言いますと、「ともえ乳業」の中田社長は遺族会として以前から何度もパラオを訪問されており、発展途上のパラオの“国興し”のお手伝いとして牧場を作ろうとされています。大統領が古河を訪問されたこともあるそうです。数ヶ月前、パラオ駐日大使が古河を訪問され、会食のお誘いを受けご一緒した折り、話題が医療にも拡がり、大使から「医師が足りないので、ぜひ応援を送ってもらえないだろうか。」と言われたのがパラオ訪問のきっかけです。現地を見てみようと思い、中田社長と一緒にパラオを訪問しました。
パラオの医療事情ですが、首都のあるコロール島に9割の国民が住んでおり、ここにある国立病院が唯一の病院です。その他にクリニックもいくつかあるようですが、コロール島以外にはほとんど医療機関はありません。
厚生大臣にお聞きしたところ、現在不足している医師は、麻酔科、産婦人科、呼吸器科、消化器外科の順との事でした。脳外科、心臓外科患者はマニラ、ハワイへ搬送しているとのことです。医療レベルはまだ低いようです。
ところが、医師数を聞いてびっくりしました。国立病院は90床くらいの病院ですが医師は30名いるそうです。友愛記念病院は316床で医師数35名です。同じマンパワーにするには100名以上の医師が必要です。それでもまだ医師数は足りないというのが“世界標準”です。また、人口1万人当たりの医師数に換算すると、パラオは15人以上(おそらく17人くらい)です。日本の全国平均は20.6人、茨城県は全国でビリから2番目の14.4人で、パラオ以下です。日本の医師不足を再認識し愕然とした視察旅行でした。