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#11:大学病院だからこそ起こった医療ミス

 この文章は、平成15年11月に朝日新聞と読売新聞に投稿したものです。結局紙面には掲載してもらえませんでしたが、「ブラックジャックによろしく」のモデルと見なされ有名になった大和成和病院の心臓外科医である南淵明宏先生からはその内容を絶賛されました。

大学病院だからこそ起こった医療ミス

友愛記念病院院長 消化器外科医

加藤 奨一

 慈恵医大青戸病院での腹腔鏡下手術での手術ミスがマスコミを騒がしていますが、ひとりの外科医として現場からひとこと感想を述べたいと思います。

 私は 45 歳の消化器外科医で、今年で外科医になって 20 年目になります。主に消化器癌の手術に専心してきました。約9年前から一般病院に勤務しています。今回大学附属病院における腹腔鏡下手術でのトラブルが大々的にメディアで取り上げられているのを見て、ぜひ世間の方にひとこと言っておきたい衝動に駆られました。
 率直な感想を箇条書きで何点か書きますので、お読み下さい。

1.世間の方は大学附属病院は臨床的な医療のレベルが最も高いと思っていますが、決してそんなことはありません。
 私も 10 年ほど大学の外科の医局に所属しており、大学附属病院で何年も仕事をしていましたが、外科系の手術に関して言えば、ごくごくめずらしい疾患に対する手術以外は大学以外の一般病院の外科医の方がはるかに手術は上手です。
 私どもの病院での外科手術を母校の附属病院での手術と比べますと、全く同じ手術をするのに時間は3分の2か、短いときは半分くらいで済みますし、術後の合併症なども大学附属病院での手術の何分の1だと思います。もちろん、正確な統計処理をした訳ではありませんので、「そんなことはない。」という反論を受けるかもしれませんが、私が大学附属病院にいた頃の印象はそんなものでした。
 大学附属病院以外の一般病院では外科医の人数は限られ、いつも同じメンバーで同じ手術をたくさんやりますので、おのずと技術が向上します。多くの外科医がいて、一人あたりだと手術をする機会がきわめて少なく、メンバー同士の「あうん」の呼吸も持ちにくい大学附属病院での手術の方が時間もかかり、術後の合併症発生率なども高くなりがちです。
 私のように一般病院で診療をしていますと、コモン・ディジーズ(よく見られる一般的な病気)の治療のために大学附属病院にどうして患者さんが好んで行くのかいつも理解に苦しんでいます。
 また、外科手術の技術のみならず、毎年うちの病院で発見された癌の患者さんの何人かは「家族と相談した結果、○○大学附属病院で手術がしたい。」とおっしゃいます。私はいつもこころよく紹介状をお書きしますが、厚生労働省の方針により、紹介患者の診療に限定することを強いられ、手術後も紹介元の医療機関にすぐ患者さんを帰さないといけない大学付属病院では、患者さんは手術だけ受けて、術後に再発したときはもう診てもらえません。当院に再入院し「はじめからここで手術を受ければよかった。」と残念がって亡くなっていかれる患者さんを多々診ています。
 やはり「大学附属病院」という権威に日本人は皆弱いようです。これにはメディアの責任も大きいと思います。

2.大学附属病院勤務志向の医師は、教授から平の医員まで基本的に(ごくまれに例外的な方もいますが)、日常臨床に没頭し、患者さんとまみえて明け暮れる毎日を送ろうという医療哲学の持ち主は少なく、日常臨床の合間に、と言うよりは、日常臨床の時間を割いてまで学問的、学術的な仕事をやっていきたいという哲学の持ち主が多いです。
 私などは、今の病院に勤務してからは、論文を書いたり、学会発表の準備をする時間があったら、患者のベッドサイドにいたい。睡眠時間と家庭崩壊を招かない程度のわずかな家庭サービス以外の時間は全て日常診療のために使いたい、と思っています。患者さんと直接接する日常臨床の時間を他の学術的仕事に割くことがとてももったいなく思えてしまいます。
 しかし、私のような医師は世間的にはなかなか認めてもらえないのが今の日本の医療界だと思います。
 外科系学会の専門医制度の受験資格に学術論文数がいくつ以上という項目があります。いくら手術がうまくても、臨床医として優れていても、学術的な業績がなければ専門医の資格はとれません。変わりに、学術業績さえあれば、いくら手術が下手でも専門医になれます。手術経験数等は書類を提出するだけで、実際手術をしているところを審査員が見に来るわけではありませんから。こういう専門医制度が作られたのも、専門医制度自体が、一般病院勤務医とは全く異なった道を歩いてきた大学教授の先生方が牛耳る学会で決められるからです。
「専門医」とは、本来日常臨床での力量により資格を与えるべきもので、学術的業績の多寡は全く無関係のはずです。
 医師には大きく分けて3つのタイプがあります。
 ひとつのタイプは、先程来出てきている大学附属病院等の学術的業績の残せる施設で勤務し続け、末は教授を目指すタイプです。いくら能力があっても、学術的に大成するためには、日常臨床は2番目に置かれます。
  2つめのタイプは、ある年数は自分の臨床的勉強や修行のために大学附属病院に所属するが、一人前に近くなった時点で一般病院に就職し、そこで日常臨床に没頭するタイプです。このタイプの医師の第一目的は「患者さんの病気を直すこと」であり、そのために自分の所有する時間は全て捧げようという考え方を持っています。学術的業績は二の次にして、日常臨床に命をかけていますから、臨床能力は最高レベルの方が多いです。
  3つめのタイプは、医学部卒業後すぐに大学附属病院ではない一般病院に勤務するタイプです。医療に対する哲学は基本的に上記の2つ目のタイプと同じです。
  今の世間の医師に対する評価は、上記1つ目のタイプの医師がレベル A の医師、2つ目、3つ目のタイプの医師はレベル B や C の医師というワンランクもツーランクも下の評価を受けるというものでしょう。
  しかし、医療を支えるべき優秀な臨床医は、どう考えても上記2つ目、3つ目のタイプの医師であると私は思うのです。
 今の日本の医療界の学術業績第一主義を改めない限り、心優しい、臨床能力の高い医師を日本にたくさん育てることは不可能だろうと思います。

3.鏡視下(腹腔鏡下および胸腔鏡下)の手術は、 1990 年頃胆石症に対する腹腔鏡下胆嚢摘出術に応用され始まり、その後世界中に広まりました。現在は胆石症に対する標準的手術として認知されていますが、胆嚢の炎症が強い場合等は危険なので、今でも従来の開腹術が推奨されています。
 その後胆石症以外の疾患にも腹腔鏡下手術が応用されるようになりました。最初は良性疾患に、次には良悪性境界病変や低悪性度の癌に、その後早期癌、最後は進行癌にも適応が拡大されてきました。
  この流れは私の専門とする消化器外科領域だけでなく、呼吸器外科、心臓外科、婦人科、泌尿器科、等々、手術を行う診療科のほとんどで競い合うように様々な疾患に鏡視下手術(腹腔鏡下および胸腔鏡下手術)が行われるようになりました。もちろん最初は全て「実験的」鏡視下手術として始まります。
 消化器外科医の私の率直な感想では、消化器系の癌、特に進行癌に対しての鏡視下手術はあまりおこなうべきではないという感想を持っています。
 従来の大きな創で行う手術と比べて、進行胃癌や進行大腸癌に対して腹腔鏡下手術を行った場合癌の取り残しの危険があると思います。これは手技に習熟しても同じだと思います。論文等では、「腹腔鏡下手術と従来の開腹術で根治性の点で統計学的有意差なし。」と言っていますが、現場の外科医はまだ本当に信用していません。こんなことを言うと、日本中の外科系学会から非難囂々かもしれませんが、一般病院で多数の外科手術を手がけてきた私の偽らざる感想です。私自身が消化器癌の手術を受ける場合は決して腹腔鏡下手術は希望しません。開腹して徹底的に癌を取り除いてもらいたいと思います。
 ある有名な東京の大学は消化器癌の腹腔鏡下手術のパイオニアです。多くの学会で発表を行い、学会、論文等で「根治性の点で腹腔鏡下手術は、進行癌に対しても従来の開腹術と何ら遜色なし。」と言っていますが、私どもの病院にはこの有名大学で腹腔鏡下手術を受け、その後立派に(?)再発されて亡くなった消化器癌の患者さんがいました。この患者さんのことは学術発表ではひと言も触れられていませんでした。開腹術でやればほぼ 100 %再発などないと考えられる患者さんでした。
 学術発表などというものはそんなものです。

4.上記3.に関しては、マスコミの方々にも責任があります。
 「お腹を切らずに癌が治る。」などと大々的に記事にするものですから、患者さん達はなんでもかんでも鏡視下の手術で治るものと勘違いし、また、マスコミ受けする治療をして患者集めをしようとか、個人的名声を得るためにとか、日本中でむやみやたらと鏡視下手術が行われることになるのです。
 創が小さくて痛みが少ない、入院期間が短くて済み、医療費削減に貢献できるというメリットは確かにありますが、あくまでも慎重に適応を厳密に検討しておこなうべき手術が鏡視下手術だと思います。
 特に、常に新しいことにチャレンジすることが要求されている大学附属病院のようなところでは、安易にどんどんと実験的な鏡視下手術が行われることになります。
 今では鏡視下手術を学術的研究のテーマにしようという若い先生が大学附属病院にはたくさんいるはずです。

5.以上色々とりとめなく書きましたが、今回の慈恵医大青戸病院での手術ミスの記事を読んでいての率直な感想は、 「大学病院だからこそ起こった医療ミス」 です。

 以上、マスコミの方は読者に医療の世界の「真実」を告げて下さい。
(平成 15 年 11 月朝日新聞、読売新聞に投稿した原稿)

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