#02:診療報酬制度改正に際し思うこと
この文章は、平成 12 年7月発行の友愛記念病院誌(年報)に書いたものです。
この年の4月に診療報酬改定があり、厚生労働省が、病院と診療所との機能分担、特に外来機能について“かかりつけ医”として病院は機能すべきではない、という方針を明確に打ち出しました。このことについて、自分なりに思ったことをしたためました。この時の私の役職は“外科部長”でしたが、この文章の最後の方に書いてある「医療行政批判」は、編集委員会でカットされて印刷されてしまい、日の目を見ませんでした。
診療報酬制度改正に際し思うこと
この原稿を書いている3月下旬は 4 月から実施される平成 12 年度の新しい診療報酬制度が発表になった直後です。今までも何回か診療報酬制度の改定を経験してきましたが、改善も改悪もあり、その評価は見る者により様々です。今年の目玉は、友愛記念病院クラスの規模の病院では一般外来は止め、紹介入院患者の診療を中心にやれ、的な方針が打ち出されたことだと思います。
このことに関連して自分なりに感じたことを少し書いてみたいと思います。
さて、一昨年の 10 月に鹿野院長の好意でホノルルに 2 週間アメリカの医療の勉強に行って来たことをご存じだと思いますが、その時見てきたアメリカの医療現場では、レジデント等の教育・修練期間を過ぎたある程度の年齢となった医者は皆自分の診療所を持っており、かかりつけ医的な役割を果たしながら、自分の患者に入院治療が必要な時は自分が契約している病院に患者を入院させ、その病院のレジデントと一緒に、自分も中心になって入院治療に関わる、というシステムでした。今回「外来は診療所で、入院治療は病院で」という方針を打ち出してきたのは、おそらく厚生省もこういう姿をイメージしているものと思われます。しかし、診療所と病院の成り立ちがアメリカと全く違う日本で同じような形の医療が果たしてすぐ出来るでしょうか?疑問が残ります。
以前病院内での報告会の時話したので覚えている方もいるかもしれませんが、アメリカと日本では診療所と病院の成り立ち、歴史が全く違いました。アメリカでは医師は皆個人営業主として自分で診療所を持つのが当たり前です。一方病院という組織は医師が作ったものではなく、看護婦さん達が中心に作り上げてきたもので、医師は必要に応じて病院に呼ばれては診療する、というのがアメリカの医療の原型だったようです。ですから、今日本でモデルとしてもてはやされている「オープン・ホスピタル(開放病院)」はアメリカでは病院の普通の形態で、これ以外の病院は特殊な病院ということになります。本来病院は医師を雇わない組織だからです。これにはまた、ドクター・フィー(医師の技術料)とホスピタル・フィー(病院での必要経費)が完全に分離されているという、日本とは全く違った診療報酬制度も関わっています。日本はドクター・フィーとホスピタル・フィーがごちゃ混ぜで一緒になった診療報酬制度を採用しています。
では、日本の診療所と病院との関係はどうでしょうか?日本の場合は、有床診療所というのがあるように、診療所が大きくなって病院が出来ていったという歴史があるようです。したがって、診療所と病院の役割でオーバーラップした部分がたくさんあります。病院は外来機能と入院機能が合わさって成り立つという今の形態が出来上がりました。そして、診療所も病院もその中心にいたのが医師です。また、病院勤務医は病院に雇われ、その病院でのみ診療をし、自分の診療所を別に持ったりはしないのが普通です。このように日本はアメリカと診療所と病院の成り立ちが全く異なり、医師の診療に携わる形も違います。
確かに、医療資源の有効活用というような面からは、病診連携、病病連携、診診連携等の密なネットワークが必要だと思います。しかし、日本の医療現場で病院が入院中心になって外来でのかかりつけ医的役割をやめてしまうことは患者さん達の受ける医療を本当に良くするのでしょうか?新診療報酬制度“案”が出た頃から外来に通院している患者さん達の本音を聞いているのですが、友愛記念病院の外来にわざわざ定期的に来ている大きな理由は、普段かかりつけ医となっている医者が、いつでも必要なときにすぐ入院させてくれて、入院治療の時も主治医になってくれる、ということのようです。そういう外来と入院の連続した医療を患者さんが望んでいました。そう、これはアメリカの診療所と病院との関係そのものです。でも、今の日本で病院が外来から撤退して患者さんが望んでいる外来と入院の連続した医療が可能でしょうか?なかなか無理だと思います。友愛が外来を縮小したり、紹介患者以外の一般外来を閉めたりしてもいいと思います。しかし、患者さんが受けている今の医療よりも良いものが提供できる、という体制を患者さん達に保証する責任が我々医療従事者にはあると思います。それが大前提だと思います。
笑えない事態ですが、医療に対する責任感が強く外来を縮小することが困難な病院は、病院内で外来をすることで経済的不利益になるなら、常勤医全員が病院から退職し病院外に診療所をかまえる「門前薬局」ならぬ「門前クリニック」の院長になり、自分が担当の患者の入院治療のために病院に訪れる、というような、苦肉の策をとるかもしれません。
法律は時とともに変わります。法律は人が作っていきます。でも、医療の本質はここ百年以上変わってはいませんし、今後もそう大きくは変わらないと思います。病で苦痛を強いられている人に対し治療行為をし、苦痛を取り去り、もとの健康な体に戻そう、という医療の動機において、いくら日本の医療経済情勢が変化しても、「人の命」を相手にする、という、根元的な所は堅持されるべきだと、僕は考えています。もちろん、医療が特別扱いされてきたことにより不正や非効率性がはびこったことは医療側が反省し最大限の改善をしなければいけないと思います。
では、我々友愛記念病院の職員は今後どうすべきでしょうか? 答えはひとつしかないと思います。患者さんやそのご家族にとって「いい医療」をするように常に病院のシステムを改良し、個々人は高い理念を持ってその責務を果たすということです。「いい医療」というのも漠然としており、ひとによって定義が違うでしょうが、自分や自分の家族、自分の大切な人がしてもらいたい医療を常に患者さんにすること、でいいのではないかと僕は思っています。ですから、職員一同の血と汗が無駄になるような理不尽な経済的不利益を被らないように、病院が法の変化に順応していくことは必要だと思いますが、必要以上に法改正に右往左往することは医療の本質から言ってナンセンスだと思います。夢や希望を抱いて医療の世界に飛び込んできた若い職員が失望し医療から離れていくような悪法には断固として戦いましょう。職員全員がいい医療をしようという自覚があり日夜頑張っている病院が経営的に成り立たなくなるような社会であるなら、その社会は元々滅び行く社会です。医療に対する熱意や信念を曲げてまで、現場の声の届かない政治家や官僚が決めた奇妙な法律に振り回されて医療の本質を見誤らないよう、時代や法に左右されない「いい医療」をしましょう。
(平成 12 年 7 月発行の友愛記念病院誌の原稿